第16回

庄子隆弘さん「海辺の図書館」館長(宮城県仙台市)

心に大きな痛手を負った時、人はどのような過程を経て立ち直っていくのでしょうか。

2011年の東日本大震災の津波で地域全体が大きな被害を受けた仙台市荒浜地区で生まれ育った庄子隆弘さんは、1973年生まれの44歳、大手書店に勤務する会社員で、主に図書館関連の仕事に携わっています。もともと図書館が好きで、子どものころから図書館で働くのが夢だったとのこと。2014年に自宅跡地に「海辺の図書館」を立ち上げ、活動を続けています。実は「海辺の図書館」、図書館といっても本はあまりないのです。「本は人、人は本だ」と庄子さん。

庄子隆弘さん

庄子隆弘さん

 

海辺の図書館を立ち上げるまで

東日本大震災の津波で荒浜の集落は大きな被害を受けました。自宅跡地に通いながら、何ができるのかを考えた時、本の中で働いてきた自分にできるアプローチは図書館だったと言います。

「震災後は、私もそうでしたが、本を読む気力は沸かないわけです。図書館に何ができるんだという無力感を覚えつつ、自分が働いている図書館で落ちた本を戻したり使えるような状態に整えていく作業を続けました。自宅は流され、仮設住宅に居て自宅再建のめどが立ってきたころ、自分が住んでいた荒浜という地区のことを考え始めました。震災後の自宅跡地には時々来て、椅子を置いて本を読んだりしていました。そこでぼーっとしていると、ご近所さんが声をかけてくるわけです。震災をきっかけに近所の人とよく話すようになりました。荒浜の歴史とか荒浜での生活というものを聞くことで、地域に息づいている文化や生活を知り、これは本を読んで知ることと同じだと気づきました。人と会話をしたり、自然環境の中で植物の話をしたりすること自体が、本を読むように自分の中に入ってくることに気がついたのです。荒浜の人や自然や歴史全部が図書館に並んでいる何冊もの本みたいなものだと思いあたり『海辺の図書館』をやろうと思ったわけです。人が本、本は人、物語を紡いでいく図書館です。」

一緒に体験をすることで何かをつかんでほしいと、ウクレレの演奏会や砂浜での能楽など体験型のイベントを開いてきました。昨年は、写真を流木に立てかけて「海辺の写真展」を開きました。震災の写真ばかりではなく、植物が新たに再生している様子や天気により変わりゆく砂浜の情景なども並べました。写真展を開いたことで、今後の展望がより明確になったと言います。悲惨なことがあった場所だというだけでなく、荒浜の今とこれからの復活再生を記録していきたいと考えているそうです。今年もまた写真展を開く予定です。

 

松林の思い出

荒浜は松林に囲まれた集落でした。恵まれた自然の中で、庄子さんはどんな子ども時代を過ごしたのでしょうか。

深沼海水浴場入り口(貴田国松氏提供)

深沼海水浴場入り口(貴田国松氏提供)

 

「子どもの頃の遊びはいつも海岸林の中。自宅前がすぐ松林、鬱蒼とした林の中を30秒も歩けば海でした。砂浜には漁をするための網を保管する小屋が並び、使用済みのロープがたくさん落ちていました。小学生の頃、このロープを拾ってきては松林の中に秘密基地を作ったり、ターザンごっこをしました。自分の家の前の林にロープを張り巡らし、それを伝って木に登って遊びました。マツの木の上のほうまで登ると見晴らしがいいのです。松林の中は冒険の宝庫、暗くなるまで夢中で遊んだものです。友達と松ぼっくり戦争をしたことも懐かしい思い出です。松林がどこまで続くのか探検もしました。林の中に突如現れる真っ白な砂場を見つけにいったり、不法に投棄されたものを拾って遊んだりしていました。今はアウトドアといっても整備された場所で行うことが普通になりましたが、何もないところでも楽しく遊べる感覚はそうやって育まれたものだと思います。砂浜で穴を掘っているだけで楽しいとか、林の中を歩いただけで楽しい、という感性ですね。

森の中で迷ったら危険ですが、海岸林では迷ったら海の方に出るということは子どもたちみんなに共有されていました。道に迷って心細くなると、耳を澄まして波の音を聞き、音のする方に行けば必ず砂浜に出るので、迷うことがないのです。その頃の松林はおとながいなくても安全に遊べる場で、今になってみれば贅沢な環境だったなあと思います。ある時、基地か何かを作ろうとして邪魔なマツの木を切ろうとした時に祖母から生木を切るなとすごく叱られたことも覚えています。

そんな松林は大津波にさらわれて消えてしまいました。海岸林がなくなって思うのは、風がすさまじいんですよ。この建物は2年前にペンキを塗ったのですが、その年の夏、台風で飛んできた砂で壁はすっかり剥げてしまいました。」

海岸林がもたらす恵み(工藤寛之氏提供)

海岸林がもたらす恵み(工藤寛之氏提供)

 

災害危険区域に指定され、集団移転を余儀なくされた荒浜は、「仙台市震災復興計画」で「食と農のフロンティアゾーン」と位置付けられ、また「海辺の交流再生ゾーン」として生まれ変わろうとしています。ふるさと再生について、庄子さんは昔に戻ることだけがいいとは思っていません。海岸林についても、海岸林のあり方についての考えは、まだ発展途上だということをシンポジウムへの参加や本を読む中で知りました。クロマツの単林でなくてもいいのではないかと疑問を投げかけます。ここに集落があったから、生活に必要なものとして海岸林があったけれども、生活がなくなって跡地利活用となった今、荒浜の海岸林はどのような形が望ましいのかを検討してほしい、元通りの松林だけではなく広葉樹も植えるとか、いろいろな考えがあるのではないかと。

貞山運河第二朝日橋より北側を望む(工藤寛之氏提供)

貞山運河第二朝日橋より北側を望む(工藤寛之氏提供)

 

遊歩道が整備された貞山運河の現在の姿

遊歩道が整備された貞山運河の現在の姿