第15回

貴田喜一さん「里海荒浜ロッジ」オーナー(宮城県仙台市)

豊かな里浜の暮らしを取り戻したい

宮城県仙台市荒浜地区の地図はこちら

松林の思い出

松林

松林

「荒浜地区は松林に囲まれていて、松林からはたくさんの恩恵を受けました。松林を抜けてくる海風は穏やかで気持ちがよく、植物が豊富で緑豊かなためか真夏でもエアコンの必要がありませんでした。豊かな植物が気温を下げる働きもしていたのだと思います。無くなって改めてありがたみに気付きました。

昔、松林は集落の燃料源でした。落ちた松葉は火付けに、枯れ枝や松ぼっくりは燃料になりました。不公平が出ないようにくじ引きで割り当てを決めたものです。台風の後は浜辺に流れ着く流木を拾いに行きそれも燃料にしましたよ。地域の人々によって浜辺や松林はゴミ一つないようにきれいにされ、きちんと管理されているので林の中には蚊もいなかったのです。また食べ物の恵みも豊かで、キノコがたくさん出ました。マツタケよりも上等というショウロをはじめ、マツタケ、キンタケ(シモコシ)、ギンタケ(クマシメジ)、アミタケ、ハツタケ、ヌランコ(おそらくアブラシメジの仲間)、最後に霜の時期にカンタケ(フユヤマタケ)と豊富でした。。

マツ自体に関しては小学校高学年の時に、地域でマツを育苗している人とともにマツの植栽をしたことがあります。昔の人は知恵があったと思います。すだれで風よけを作り、砂地に穴を掘って藁を十字に敷きます。その上に苗を植えました。地面から飛び出した藁が風よけになり、その藁が腐って発酵する時の温度が35度なので保温効果もあるのです。松林は植栽も管理も地域の住民が担っていました。」

 

震災が残したもの

倒れた愛林碑(植栽した人々の名が刻まれている)

倒れた愛林碑(植栽した人々の名が刻まれている)

「国内のいろいろな場所や外国にも行きましたが、どこに行っても荒浜くらい暮らしやすいところはないと思います。人が住むには水と食べ物が必要ですが、荒浜は自然の恵みが豊かです。水は6メートルも掘ればきれいな地下水が湧き出るので各家庭には井戸が備わっていました。

自然に恵まれて住みやすい地なのに、震災後、行政が一方的に人は住んではならないと決めつけたことには納得できず反発しました。自分たちの土地で再建を果たしたいと思う地元住民で結成したのが「荒浜再生を願う会」です。

今は震災遺構となりましたが、荒浜小学校の清掃をしてがれきとヘドロで汚れた校内を人が入れるまでにきれいにして一時避難所にしたり、市内唯一の海水浴場である深沼海岸の清掃を定期的に続けたりしてきました。荒浜の被害状況が一番早くに報道されたことから大勢の人が被災地訪問として荒浜に来ました。その案内役の一端も担いました。

会の結成当時は元住民を中心に約60名の会員がいましたが、年月とともに帰郷を望む会員は減り、5年目には10名程と少なくなる一方でした。荒浜地区で186名が震災の犠牲になりましたが、多くは家族を助けるため迎えに行ったり探しに行ったりした人たちです。荒浜小学校の屋上に避難した住民も多くいましたが、あの屋上で地獄を見たのです。家がそのまま海に流されて、2階から手を振っている人がいるのが見えるのに、その家が沈んでいく、そんな恐ろしい地獄図を見て、8割方の住民がもうここには住みたくないと言うようになったのです。

7年たった今、荒浜の元住民たちは仮設住宅を経てバラバラの場所に住んでいます。地域のつながりはなくなってしまいました。またこの地域は二世帯同居が普通だったのに若い世代は勤め先に近い都市部に移転することを選びました。高齢世代は金銭的な不安もあって復興公営住宅を選び、家族も分断されました。家族のつながりも切り裂かれたのです。」

 

これから

パークゴルフ場と防災林植栽

パークゴルフ場と防災林植栽

復興事業も進み周辺にはパークゴルフ場や海岸公園が整備され、震災遺構となった荒浜小学校向かい側には貴田さんたちが望んでいたような避難の丘が計画されました。

仙台市には買収した土地を貸し出す跡地利用計画があり、中には観光果樹園を作る予定もあります。ようやく仙台市も沿岸部を人々が集う賑わいの場所にしようと動き出したことを受けて、貴田さんは2018年6月30日をもって「荒浜再生を願う会」の看板を下ろす決意をしました。

これからは荒浜復興推進協議会「イナサの風」としていい環境を作って荒浜を守っていこうとしています。貴田さんは跡地利用制度を活用してマツだけにこだわらず塩害に強い植物を育てて環境を回復していきたい、豊かな自然環境を取り戻したいと考えています。プラスチック製品による海洋汚染も心配だからと、海岸の清掃も続けています。浜に打ち上げられるレジンペレットや牡蠣の養殖の苗床の緩衝材として使っている豆管の回収をしています。

貴田さんの理想は様々な植物を育てて「いぐねのある風景」をつくること。そうすることで豊かな自然が戻り、孫の代くらいにはまた人が集まり住む環境を再生できるのではないかと夢を語ってくれました。

400年前に伊達政宗公が計画し植栽した松が点々と残っているわきで、海岸林の再生が続いています。海岸防災林は、波打ち際で海から吹き付ける潮風や砂を防ぎ、高潮を軽減します。平地が少ない日本において、海岸近くに人が住まい、農地を拓いて作物を育て産業を興してきた歴史は海岸防災林に守られてきました。貴田さんは、大きな被害を受け、改めてその存在が地域のくらしや生業と密接にかかわっていたことに気づき、海岸林の再生を通して、森の恵みを生かした里浜の暮らしを今一度考えたいと語ってくださいました。

荒浜ロッジ(左隅は震災遺構の荒浜小学校)

荒浜ロッジ(左隅は震災遺構の荒浜小学校)

 

大震災前、仙台市営バスの終点だった場所に荒浜ロッジは建っている。

大震災前、仙台市営バスの終点だった場所に荒浜ロッジは建っている。
「またきてね」と書かれた手作りのバス停のオブジェが設置され、人々が集まるスポットになっている

 

貴田喜一さん
「里海荒浜ロッジ」オーナー