第15回

貴田喜一さん(宮城県仙台市)/「里海荒浜ロッジ」オーナー

豊かな里浜の暮らしを取り戻したい

宮城県仙台市荒浜地区の地図はこちら

東日本大震災から7年、震災により荒浜から無くなったのは、地域の人のつながり、家族のつながり、豊かな自然であると貴田さんは言います。貴田喜一さんは仙台市若林区荒浜にある「里海荒浜ロッジ」のオーナーであり、市民活動団体「荒浜再生を願う会」の代表として活動を続けてきました。

貴田喜一さん

貴田喜一さん

 

震災前この地には、松林に囲まれて約800世帯2,100人が暮らす集落がありました。荒浜は自然豊かで住みやすく住民同士の絆も深い地でしたが、大震災の大津波は集落のすべてを飲み込んだのです。荒浜地区は災害危険区域に指定されたため住民は住むことができなくなり、現在は家の基礎や庭石といった人の生活跡が残る荒野に生き残りの松が見える慰霊の地となりました。

しかし、かつてのような「ふるさと荒浜」を取り戻したいという思いから、貴田さんは自宅があった場所に訪れる人たちの拠り所として「里海荒浜ロッジ」という交流の場を作ったのです。ロッジは地域住民が住めなくなった地で人々が定期的に顔を合わせることができる重要な拠点でした。

2015年10月、建物は心ない放火により焼失し危機に見舞われましたが、大勢の仲間の後押しが力となり再建にいたりました。今は6次産業の加工業として許可を得て、地元野菜の漬物や地域の特産品の販売によってかつてのように人が集まる賑わいを取り戻したい、と願う貴田さんです。

大震災前の荒浜(2005年)

大震災前の荒浜(2005年)

 

懐かしい里浜のくらし

集会室の壁に貼られた明治期の地図を示しながら貴田さんは「荒浜は昔から集落地で、人が集い賑わっていた」と話します。仙台の街から離れていても人が集まる理由は、豊かで住みやすい地であったから。里山ということばがあるように里海もあり、荒浜には里浜の暮らしがありました。

 

貴田さんの話

「海の中にはいくらでも食べ物があります。貝はいくらでも採れました。シジミもホッキもアカガイも大きくて立派なものでした。外洋にはマグロも泳いでいたし、イワシは海の色が変わるくらいにやってきました。夏には遠浅になる浜なので、イワシを追いかけてきたクジラが座礁し浜にあがったこともあったよ。祖父の時代は、エグリガッコという木造船が何艘も海に出て定置網を仕掛けていましたが、大量のイワシで網が壊れるし、イワシは金にならないからイワシが来たら網を上げろと言っていたものです。」

エグリガッコ舟

エグリガッコ舟

「集落にはたくさんの楽しみもありました。地域にはいろいろな『講』があって、楽しみを作り出したり助け合ったりしていたのです。例えば『契約講』といって、不幸があった時など近隣が助け合う制度は被災前まで続いていました。『山の神講』とか『出羽三山参り』の講とか色々ありましたが、一番忘れられない楽しい思い出は『はげます講』です。小正月の14日に、前年にお祝い事があった家に七福神の恵比寿様や大黒様などに扮して踊りやらでお祝いを盛り上げに行ったわけです。寒い時期ですが家々は戸を開け迎え入れました。子どもたちが「あきのほうからチャセゴに来ました(幸せを運んでくれる方角からお祝いに来ました)」と言うと菓子袋がもらえたものです。年に一度だけ一晩中夜遊びをしてもいい日でした。」