第8回

菊地芳夫さん(宮城県名取市)/名取土地改良区理事・農業

五間堀と貞山堀、仙台平野と海岸林を回顧する

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「二木の松」と岩沼市の木クロマツ

宮城県岩沼市の二木地区に「おくのほそ道の風景地」の一つとして国の名勝に新たに指定された「二木の松」(ふたきのまつ)があります。「岩沼市の木」にもなっているクロマツで、現在のクロマツは呉服商佐久間万吉氏が二ノ倉海岸にあったのを植え継いだものでそれから7代目になります。名取市の木もクロマツです。そのクロマツは海岸林に植えてある中心の樹種にもなっています。

五間堀と貞山堀の思い出

岩沼市のほぼ中央を五間堀が畑や集落に沿って流れています。川幅は実際には15~16メートル位ありますが、貞山堀と合流する付近ではもっと川幅が広がります。流れに沿って100m間隔で桟橋があります。

昔は桟橋の周りは、洗濯をしたり野菜や農作業の道具の泥を落としたりで、いつも朝から夕方まで大人や子どもがいました。大人たちの井戸端会議ならぬ川端会議の場でした。

子どもたちの間でも、どこでこんな魚が獲れたとかどこで滑ったとか情報交換の場でした。魚もたくさん棲んでいて、今では絶滅危惧種のメダカも、当時は桟橋の上から覗くと黒い塊になって群れをなして泳いでいました。ナマズ釣りのやり方は、水草が生い茂っている箇所にカエル(コツは皮を全部剥ぐ)の足に糸と針を付け、チョンチョンといかにもカエルが飛び跳ねているように針を落とします。またウナギもよく釣れましたが釣り上げた途端、テグスにからみついて外すのに大変でした。

岩沼市のシンボルの木、「二木の松」

川べりから1m位の長さのヤナギを何十本も取ってきて、皮むき(Y字型の金具が木の台に付いて、枝を挟んで手前に引く)のアルバイトもしました。業者が皮を剥いたヤナギを買い取り、行李(こうり)を作る材料にしたとのことでした。おかげで夏休み中のお小遣いはけっこう潤沢で、五間堀は実益と楽しみの場所でもありました。

周辺には桑畑も点在していて養蚕農家も多くありました。私は小学生の頃はカイコを飼っていて、毎朝起きると桑の葉を摘んできてカイコにあげてから学校へ行くのが日課でした。可愛い顔をして美味しそうに葉を食べる様子を眺めていると見飽きませんでした。子どもの頃の懐かしい思い出です。

岩沼市街を流れる五間堀

仙台藩を支えた五間堀と貞山堀

五間堀は貞山堀(貞山運河)を経て太平洋につながります。貞山堀は阿武隈川河口を起点とし、仙台平野の海岸に沿って北上し、松島湾で東名運河、北上運河を経て北上川につながります。阿武隈川と北上川は全長の運河で直結しています。江戸時代には仙台藩のコメや木材 などの物資を江戸まで船で運ぶ需要な交通ルートでした。

貞山堀の河口は真水と塩水が交わり汽水域になり、漁業も盛んでした。閖上港恒例の「ゆりあげ朝市」は、震災後中断していましたが、又復活しました。地元で獲れた魚や野菜、果物、お菓子などが安く販売され、朝早くから買い物客や観光客で賑わいます。

貞山堀の流れは直線的

津波に流されたもの、残った思い出

名取市在住の菊地芳夫さんは、仙台空港の近くで農業を営んでいます。イグネ(強風から屋敷など守る屋敷林)や田んぼ、畑も津波で全部流されましたが、波を被った土は何度も耕して(天地替え)やっとレタス、トマト、ブロッコリー、白菜などの野菜を収穫できるようになりました。しかし、まだ塩分が残留しているようで農作業で使う刃物などはすぐ錆びるとのことです。

仙台平野のイグネ

貞山堀には東北大学漕艇部の艇庫があり、学生たちはボートの練習に精を出しています。流れが直線的なので練習には最適なのでしょう。その成果が出たようでオリンピック(56年メルボルンか60年ローマか?)の日本代表になったと記憶しています。メダルが取れたかは定かでありません。地元の人たちと学生の交流があり、集落対抗のボート漕ぎ大会もありました。菊地さんは津波で自宅に流れ着いたボートのオールを今でも大事にしています。学生たちが握ったのだろうと思うと、何か因縁めいたことを感じるそうです。

名取市北釜地区では砂地を利用しての野菜や果物の栽培が盛んです。とりわけメロンは甘味が強くジューシーで味は最高です。茶目っ気のある地元の農家の人たちは、子どもたちにメロンのことを「マターメロン」と教えます。子どもたちが学校の給食で出たメロンに「マターメロンだぁー」と大喜びすると、新任の先生は名取の子どもたちはいつもメロンを食べているのかと、ビックリしたとのことです。