第6回

渡邉 淳さん(宮城県七ヶ浜町)/七ヶ浜町町議会議員、宮城県森林インストラクター

海岸リゾート地を支えた海岸林の復活を目指して

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外国人避暑地でもあったマリンリゾート地

七ヶ浜町は、宮城県仙台市の東に位置し、北は松島湾、東と南は太平洋に面しており、東北・北海道の市町村で最も面積の小さい町です。地形は、三方を海に囲まれた半島状の丘陵地で、海岸には、いたるところに高台、岬、断崖があり、長い砂浜と複雑な入り江が美しい景観をなしています。景観に恵まれた七ヶ浜は、県立松島自然公園に含まれ、その海岸線は国の特別名勝に指定されています。

七ヶ浜という名は、明治9年(1876年)、「浦役場設置の条例」で、それまで浜の名で呼ばれていた、湊浜(みなとはま)、松ヶ浜(まつがはま)、菖蒲田浜(しょうぶたはま)、花渕浜(はなぶちはま)、吉田浜(よしだはま)、代ヶ崎浜(よがさきはま)、東宮浜(とうぐうはま)の七つの浜を統合して「七ヶ浜」とし、それを浦役場の名称にしたのが始まりです。

七ヶ浜は、大部分の地域が海に面する海洋性気候のため、夏は涼しく冬は暖かく、降雨(雪)量も少なく、過ごしやすい気候です。そのため、花渕浜には日本三大外国人避暑地*の一つである高山外国人避暑地があります。また、菖蒲田浜には、明治21年に東北で初めて、全国でも3番目**に開設された菖蒲田海水浴場があります。当時の海水浴は、「潮湯治(しおとうじ)」といわれ、療養を目的に全国へ広まりました。菖蒲田海水浴場は、毎年5万人の海水浴客が訪れる県内有数のマリンリゾート地ですが、東日本大震災の影響で、現在は遊泳禁止になっています。

平成23年3月11日の東日本大震災では、最大12.1mという大津波により、町の1/3が浸水しました。浸水域の大半は町の東と南の太平洋に面した地区でした。

海岸林再生キックオフ植樹に参加した渡邉さん

震災当時を語る

震災当日は仕事で東京に出張中でした。激しい揺れに「関東大震災の再来かと思った」、「夜のニュースで初めて県内各地に津波が襲来したことを知り、自宅も津波に流されていると思いました」とのこと。渡邉さんの自宅は、太平洋に面した菖蒲田浜にあります。同居している母親のことが心配で、自宅に戻ることにしました。

翌日仕事に目途をつけ、帰ろうとしましたが、東北方面の公共交通機関は全く機能していなかったので、東京本社の車で午後3時頃出発しました。道路状況が悪い中、3月13日早朝七ヶ浜に着きましたが、自宅付近には近づけませんでした。途中、車を置いて歩いて自宅を目指したところ、自宅は海岸近くの招又(まねきまた)という地名の高台に押し付けられたような状態で見つかりました。車が数台家の下敷きになっていたので、家が土台から浮いて流されたのではないかと想像しています。

招又という地名は、昔、七ヶ浜に大きな津波が襲ってきた時、菖蒲田浜の人達は、二手に分かれて避難しました。一方が海岸近くの高台に、もう一方は別の山(韮山)を目指しましたが、登り口が分らずウロウロしていたところ、高台に避難した人達が、大きな声で「こっちさ来い」と手招きしたという言い伝えから、この高台は「招又」と名付けられたと言われています。

今回の震災でも、招又には180人が避難しました。母親の行方が分からなかったので、親友と一緒にあちこちの避難場所を捜しましたが見つかりませんでした。渡邉さんは、最悪の事態もあるのではないかと覚悟したそうです。その後、親友から避難所に居るとの連絡が入り、ようやく母親と再会しました。母親は自衛隊に助けられて病院に搬送され、一晩入院した後、避難所に移ったそうです。母親に津波のことを聞いたところ、水が道路に流れてきたことまでは覚えていましたが、大きな衝撃を受けた後、助けられるまでの記憶がありませんでした。「母は助けられたとき濡れていなかったので、家が浮いたまま流されたのではないかと思っています、平屋の我が家で助かったのは奇跡としか言いようがありません」。この震災で、七ヶ浜町民90余名の尊い命が失われ、3740世帯の家屋が被災しました。

菖蒲田海岸にて、後方は被災した海岸林(平成27年2月)

*三大外国人避暑地:海の高山「七ヶ浜町」、山の軽井沢「長野県」、湖の野尻湖「長野県」
**日本最初の海水浴場:明治14年愛知県千鳥ヶ浜、二番目:明治18年神奈川県大磯の照ヶ崎海岸