第4回

岩崎昭子さん(岩手県釜石市鵜住居町)/旅館「宝来館」女将 伊藤聡さん(岩手県釜石市橋野町)/一般社団法人 三陸ひとつなぎ自然学校 代表理事

先人がマツを植え続けた海岸は「絆」紡ぐ、心のよりどころ
自然豊かな「育ち場」で、地域再生をめざす

マツ林に守られ、高台に建つ旅館だけが残った

釜石市の北部、大槌湾に面した釜石市の根浜海岸は、岩手県では高田松原、浄土ヶ浜等と並んで白砂青松100選に選ばれるほど緑濃いマツ林と白い砂浜が2キロにわたって連なる海岸でした。「製鉄の町・釜石」が活気にあふれていた頃、遠浅の浜辺はリゾートとして賑わい、夏は数万の人が海水浴やレジャーに訪れました。暑い日差しを避けるクロマツの林の下で、地元住民がおでん、ラーメン、かき氷のお店を出し、アイスキャンディーやサイダーは、釜石まで日に3往復して仕入れるほど、賑わったといいます。時代が変わり、その賑わいが過ぎた後も、ハマボウフウやハマエンドウが咲くマツ林は、いつも根浜の人の暮らしに近い存在でした。

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釜石市の中心部から国道45号を北に進み、市道鵜住居(うのすまい)2号線を海手に下ってリアス式海岸らしく入り組む大槌湾の海岸沿いを進むと根浜地区に入り、まもなく一群のマツ並木と、その山手に旅館「宝来館」が現れます。あの日、漁業を主な生業とする根浜地区は、この宝来館を残し、ほぼ全ての住宅が津波に流されました。

宝来館は高台にあり、かつてこの場所は塩田として使われていました。1933年の昭和三陸津波でも津波が上がらず、人々は飼っている馬や牛を連れてここに逃げたといいます。しかし、東日本大震災では14メートルの津波がマツ並木の幹を洗いながら押し寄せ、宝来館1階の天上を突き破って2階に到達。その前に、地域のお年寄りや子どもたち、旅館従業員たちは、元町内会役員の佐々木虎男さんがマツ林の中で激しく鳴らす半鐘が響く中、宝来館の裏の山をジグザグに山肌を縫う避難道を急いで駆け上がりました。

「ここは地下に大きな岩盤があるんです。土地の先輩方は代々、津波から土地を守るためにマツが根を張りやすく、成長しても倒れにくいように赤土を盛ってマツを植え続けてきました。旅館の前にある私たちのマツがガレキを止めてくれたおかげで、助けられました。このマツがなかったら、もっと被害は大きかったと思う」。そう話す宝来館の女将、岩崎昭子さんは、知り合いを助けようと山を下りたところで津波に飲み込まれたものの、九死に一生を得て裏山に逃げ延びました。

祖父の代から、土地の人たちが海水を煮て塩を作っていたこの場所に、岩崎さんの父が旅館を建てたのは1963年。津波を経験した曽祖母から「津波の時は、山さ逃げろよ」と言われていた岩崎さんは、本館を建て直した1995年、裏山に手作りの避難道を作りました。東日本大震災では、先人達が植え続けてきた松林とこの避難道が、まさに「命綱」となったのです。

孤立した日も、集落の絆があるから生き延びた

防潮堤を越え、根浜海岸のマツ林をなぎ倒して内陸に流れ込んだ海水は、地盤沈下や、ガレキなどではけ口を失ったためになかなか引かず、道路はガレキに埋められ、根浜の人たちは一時避難した宝来館で孤立しました。3日後に自衛隊が支援に来るまで、ガレキの下から食材をかき集め、沢水を汲み、女性たちは泥だらけの米や皿を風呂の残り湯で洗って炊いて、食事の支度をしました。男性は倒れた家々の柱を薪にして暖を取り、行方不明者を探しに行きました。「誰かを待つんじゃなく、自分たちでかまどを用意し、食材を探す。動ける人はみんな、自分たちができることで動いて頑張ろうねって励ましあいました。昔から自治意識が高いんです、根浜は」と岩崎さん。

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40人程度、多いときには80人もが過ごした宝来館は、電気、水道が復旧せず、二次災害を危惧する市の要請を受け、その後のあり方を話し合いました。そして、「集落を離れたら、みんなの絆が切れるんじゃないか」という不安を抱きながらも避難所の解散を決意します。3月26日、宝来館を去る人たちに向かい、最後に残った岩崎さんと、旅館を手伝う伊藤聡さんは、大漁旗を大きく振って励ましました。「宝来館に誰もいないってことは絶対にないことだったんだけどね。ほんでも、前に行くしかないんだから、がんばる」。そう自らを奮い立たせながら、岩崎さんも釜石市内の親戚宅に身を寄せました。

4月末、宝来館再建のために様子を見に来た岩崎さんは、ガレキの中で芽吹くハマナスを見つけました。避難暮らしの中で、離れ離れに暮らす根浜の人たちの絆が切れないようにと、岩崎さんは手作りした「ねばま通信」を手に釜石の避難所や、盛岡の旅館に避難している人たちに会いに行きました。「私たちは生き残ったからね、いっぱいお花を植えてここを明るい所にして、亡くなった人たちを慰めてあげたいんです」。そして5月、ハマナスのけなげな花に背を押されるように、「根浜海岸松林・ハマナス再生お花畑プロジェクト」を立ち上げました。