第1回

大橋信彦さん(宮城県名取市)/「ゆりりん愛護会」代表

クロマツや生き物たちが賑っていた環境を呼びもどし、子どもたちに良いものを残したい

「ふるさと遺伝子」が目覚め、地域の自然と出会う

砂に掘った小さな穴から素早く出入りするスナガニを追いかけ、砂の中から二枚貝のナミノコを掘り出した波打ち際。すぐ後にあるクロマツの海岸林では、春と秋には松露などのキノコを採り、松葉や薪を竃(かまど)にくべて、ご飯やみそ汁を煮炊きするー。

海岸林で掻き集めた松葉が家庭の燃料に利用されていた昭和30年代頃まで、名取市閖上(ゆりあげ)の浜辺ではそんな風景が当たり前に見られました。

閖上の地図

「海岸林の中でクロマツの固い松葉に触った時のチクチクと痛い感覚。裸足で歩いた炎天下の熱砂と、ハマボウフウの肉厚の濃い緑の葉っぱのひんやりとした足裏の感触。 浜というと、子供の頃の五感の記憶を鮮明に思い出します」。 大橋信彦さん(70歳)は、そう振り返ります。

大橋信彦さん

閖上で生まれ育ち、大学以降は山形などで暮らした大橋さんが、故郷の海浜植物や海岸林の保護活動にかかわるようになったのは10数年前。東京の職場に掛かってきた名取の後輩からの電話が、大橋さんの「ふるさと遺伝子」を目覚めさせました。「(なくなったと思われていた)ハマボウフウが見つかった!」。その知らせに、「自分の中の血が騒いだ」。

いても立ってもいられなくなり、東京近郊に住む名取の小中学校の同級生30人ほどに声を掛けて支援の輪を作り、地元の人にも声を掛けて、ハマボウフウの保護活動に乗り出しました。見つかったハマボウフウを宮城県農業高校の協力を得て校内に移植したところ、根が活着し、順調に成長。全国の海浜植物を守る団体とのネットワークもでき、地域の人が海浜植物に親しむ機会を作りました。

数年して退職、閖上に戻ると、新たに海岸防災林との関わりも生まれました。不審火がもとで県所有の海岸林の一角が焼け野原になったとき、地域の人たちが宮城県に復元を働きかけ、環境学習林として再生させることになりました。地域の小中学校の児童生徒、地元住民、教育機関の方々がクロマツに加えて7種類の樹木の苗1300本を植林。緑の苗がすくすくと育つ“自分たちの森”に、子どもたちは閖上の海岸林にちなんで「ゆりりんの森」と名付けました。季節ごとに枝落としや松葉掻きなどの手入れをし、森のことを楽しく学ぶ「森の教室」、音楽会やキノコ鍋などの催しを通し「ゆりりん」は地域に愛される森となり、大橋さんは会の代表として活動を見守ってきました。

しかし、あの日、巨大な津波はその森を押し流し、仲間の何人かも帰らぬ人となりました。2011年7月、悲しみを抱えながらも、大橋さんと仲間たちは「ゆりりんの森」に足を運びました。そこで見つけたのは、生き残った松に育つ、青く若々しい松かさ。その生命力に元気を得た大橋さんたちは、拾い集めた松かさを、海岸林の育成でつながりのあった「白砂青松再生の会」の呼びかけに応じて京都府立緑化センターに送り、種子から苗木を育ててもうらことにしました。

ゆりりんの苗畑